・木曽桧と漆
・地域の技術を生かす
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先ほどもいいましたが、松本の平らに点在する本棟造りは、とてもいい雰 囲気を持っています。松本の平らはよそよりも水が豊富で陽もたくさん当た り、肥沃な、豊かな土地でした。けれども、それだけではありません。白川 の合掌造りや、東北、京都のように、なぜか日本の地方では、みんなが競い 合っていい家をつくり、美しい形を生み出していった。それは、やはり大工 が、「おれの作ったものは、どうだ、あいつには負けんぞ」という、自分に 自信を持ってものを作り上げたからであり、またそれを全面的に押し出して くれた建て主がいたからだと思います。お互いが一丸となって仕事ができた のです。
あちこちで、色とりどりのハウスメーカーの家が建ち並んでいます。そう いった家は、30年ぐらい経てば建て替えてくれるだろう、そういう計算で作られています。だからちょっと見 がよく、飛びつきやすい。国がつくる公共的な建物も、それが100年経ったときに、この建物は立派だから重 要文化財にしましょう、などということはたぶんないだろうと私は思います。なぜなら、昔の木造住宅や、京 都や奈良にある神社仏閣にしても、1000年から経っている建造物です。それと比較したときに、これはちょっ と耐えきれない、と思います。
松本には開智小学校がありますが、明治になって、いろんな西洋建築ができました。当時の西洋建築が今に なって重要文化財になったのは、かたちは変えても、立派な技術を持ってい たからです。誇りの持てるものをつくることによって、それが自分の支えになっていくのだと思います。
昔から家に限らず工芸、たとえば焼き物、漆、鍛冶といった伝統的な技術があります。たとえば鍛冶屋の仕 事というと村鍛冶屋がつくる農機具、鶴嘴や鍬以外にも、刀の鍔やこづかい、鎧などはみんな鉄でできていま す。鎧はいかに鉄を薄く形よく叩くかに腐心し、その上に錆止めを兼ねて漆を焼き付けてつくってあります。 そういう技術が伝統的に日本にはありました。ヨーロッパにも甲冑はありますが、向こうのものは絶対に殺さ れないために身体すべて鉄で覆ってしまうという、実用的なものです。日本の場合、もちろん戦にも使いまし たが、非常に装飾性の高いものでした。「おれの付ける鎧は緋の鎧だ」と、みせびらかした。緋の鎧であれば 、本朱の漆を塗って焼き付けてつくったものということです。やはりそれを通す組紐も、それぞれ独自の編み 方があり、麻もあれば綿もあれば絹もあった。そのような技術が脈々と続いてきたのですが、高度成長ととも に、ちょっとずつなくなってしまったのです。
われわれの集落(木曽平沢)も、かつては1200人くらいの職人がいまし たけれども、今は150人くらい、約10分の1になってしまっています。鍛 冶屋はほとんどなくなってしまった。左官屋にしても、蔵造りの観音開き の合わせの扉ができる人は…。修行して、「仕事がありさえすればおれは やるぞ」という人はいると思います。仕事があればそういう技術はまた盛 り返します。けれども、現実的にはありません。昔だったら立派な蔵を造 って自慢する人が結構いましたが、今の時代ではお金があっても、いい車 に乗ったり、旅行に行ったりして、せいぜいちょっと見のいい家を建てる くらいで、伝統的な技術を本当に生かそうという人はいません。
数百億、数千億円かけて建てられた公共の建物でも、何か良いものを使っているかといえば、何もない。い かにお粗末であるか。たとえば東京都庁は1800億円かかっています。国立第二劇場は1200億円。松本あたりで も50億から100億近い建物はいくつかあります。坪単価で割ると300万円とか、ひどいものになると500万円に もなります。それくらいお金をかけている建物に、ドアも何もかも、工業製品です。ちょっとお金がかかって いるのを見せかけるために、大理石を床に使っていたりする。それもスペインやインド、中国あたりから安い ものを持ってきて使っているだけ。寒冷地で使って水が浸みれば簡単にひびが入ります。それは本当に日本の 文化に必要なものなのか、疑問です。
50億の建物でも、その10分の1を大工、左官、鍛冶屋、材木、漆屋、そういう伝統的な技能を持った職人に いただければ、やりきれないほどの仕事が生まれます。職人というのは、そのことによって意気が盛り返すの です。「あそこのドアの取っ手はおれが叩いたやつだ」「デザインはあの人がやったけれど、今度はデザイン に参加してみよう」という意欲が沸いてくると思います。自分たちの身近にある公共的な建物くらいは、自分 たちにやらせてくれ、いくら補助金が出てもひも付きは駄目だと、そういう考え方が必要だと思います。
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